ども、こすげっす。
いやーやられちまいましたよ。
喘息さんにね。
もともと小さい頃から喘息と戦ってきた僕ですが、20代になってまでまたやられちまうとは。
おかげで声がガスガスですし、咳しまくりです。
ただ、そんな僕にもおみやげがありました。
昨日みなもっちゃんが書いていましたが
我がSPG(スーパープログラマー)KY氏が先日ROCK IN JAPANなるものに
参加してきたらしいですよ。
正直僕はそこまで興味ないのですが、夏フェスといえば的なところがあるらしいですね。
出演するあーちすとさんたちのお名前は聞いたことあるものばかり少しばかり羨ましくありましたが...。
でそのおみやげなんですが...
「筋肉少女帯のタオル」
どこですかそこ?
なに地帯ですか??
太平洋火山帯的なあれですか???
えー正直なんにも知りません。
リーダーの変人Hさんに色々教えてもらっても、答えはひとつ。
「知りません」
ということでググってみたよ!!
筋肉少女帯とかしらねーよ!というそこの君!!!
一緒に勉強しようではないか!!
ということで筋肉少女帯、ばらしていきます。
筋肉少女帯(きんにくしょうじょたい)は、1980年代後半から1990年代後半にかけて活躍し、2006年に活動を本格再開した日本のロックバンド。通称は「筋少」(きんしょう)で、アルファベットでは「King-Show」(初期は「KIN-SHOW」)と記す。
引用元: 筋肉少女帯 - Wikipedia
大槻ケンヂ(おおつき けんぢ、1966年2月6日 )ボーカル。東京都中野区出身(在籍期間1982年-1999年,2006年-)結成時よりのオリジナルメンバー。当初の名義は「モヨコ」、「おーつきモヨコ」、あるいは「大槻モヨコ」等。愛称は「オーケン」。結成当初はボーカル&ベース担当だったが、ほどなく歌いながらだとベースが弾けないことが発覚、ボーカルに専念することとなる。遠藤ミチロウ・町田町蔵・長谷川裕倫などの影響を受けた[7]独特のヴォーカルのみならず、ほとんどの楽曲の歌詞を手がけ、独自の世界観を構築する。作曲もある程度手がけ、ハードコア、ファンク、テクノ・ポップやボサ・ノヴァなど比較的シンプルな構成ながらも振れ幅の広い楽曲を生み出した。頭の中のメロディをメンバーに伝えて試奏して貰いながら組み立てる、あるいは鼻歌をメインとした作曲スタイルのためクレジット表記において物議をかもし、後年の作曲者クレジットが「○○&筋肉少女帯」と統一される要因にもなった。作家、エッセイスト、タレントとしても活動し、文筆業においては筒井康隆、大塚英志、鹿島茂、坪内祐三、松岡正剛などからのレファレンスや星雲賞の二年連続受賞といった一定の評価を得た。独特の軽妙かつつかみどころのないキャラクターの宣伝効果でバンドの知名度アップに大きく寄与したが、自身も認める通りそれが色物的扱いを受ける要因にもなった。2006年7月再加入。
引用元: 筋肉少女帯 - Wikipedia